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【イスラム国】公式スポークスマン アブ・ムハンマド・アドナニ師が殉教

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↑公式紙「アルナバ」が公表した故アドナニ師の素顔の写真

2016年8月30日(日本時間31日)イスラム国は公式スポークスマンのアブ・ムハンマド・アドナニ師が殉教したとの声明を、アラビア語や英語で以下のとおり公表した。アドナニ師は、アレッポ県での軍事作戦を視察中に死亡したと伝えている。声明の終わりでは、イスラム国では、生よりも死を好み、現世よりも来世を望む新たな世代が誕生しており、どれだけ幹部の血が流れようとも、ジハードの道を進み、敵に対する復讐を行う決意を一層高めるだけだとしている。
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20160830_IS_Halab_Adnani__Martyrdom_Statement_English

アマーク通信や週刊紙アルナバでも、アドナニ師の死亡が報じられた。
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NHKがエジプト軍大本営声明(フェイスブック投稿)を鵜呑みにしてイスラム国シナイ州の指導者「アブドア・アンサリ」を殺害などと報道

最近ジハード主義組織に関する報道の質を高めつつあったNHKだが、またしても残念極まりない記事を配信してしまった。ここに晒しておくので、猛省を促したい。

(以下、NHK関連報道の引用)
エジプト軍 IS関連組織の指導者を殺害と発表
8月5日 20時07分
エジプト軍はエジプト東部のシナイ半島を拠点にテロや襲撃を繰り返している過激派組織IS=イスラミックステート関連の武装組織の指導者を殺害したと発表しました。
エジプト軍は4日、声明を出し、エジプト東部のシナイ半島を拠点に活動するIS関連の武装組織の指導者、アブドア・アンサリ容疑者を殺害したと発表しました。
声明によりますと、時期は明らかにしていませんが、シナイ半島北東部のアリーシュ近郊でこの武装組織に対する空爆や地上戦を行い、アンサリ容疑者を含む戦闘員40人余りを殺害したということです。
この武装組織は3年前の軍による事実上のクーデターで成立したシシ政権が、イスラム勢力に対する締め付けを強めて以降、これに反発して、軍や警察に対する襲撃やテロを繰り返しています。
去年10月、シナイ半島を出発したロシアの旅客機が墜落して、乗客乗員224人全員が死亡した際には声明を出し、自分たちが墜落させたと主張していました。
エジプト軍のたび重なる軍事作戦にもかかわらず、この武装組織が勢力を維持してきた背景には、シシ政権の強権的なやり方に反感を募らせる地元住民の協力があるとも指摘され、今回、指導者が死亡したことで、組織の弱体化につながるかは不透明です。
(以上、NHKの記事引用終わり)

NHKはエジプト軍大本営発表の声明であれば全面的に信頼し、ウラを取るということを一切しないのであろうか。この報道が「声明」とする情報源は、何とフェイスブックの投稿である。
エジプト軍大本営発表
上の画像は、エジプト軍報道官のフェイスブック公式ページにおける関連の投稿である。それにしても、(事実だとすれば)重要な戦果の第一報を、フェイスブックで公表する軍隊が、世界のどこにあるだろうか。最早エジプト軍は、真面な軍隊とは言い難い。

しかも、エジプト軍が殺害したと主張しているのは、「アンサール・ベイト・マクディス(アンサール・エルサレム)」という組織の指導者「アブ・ドア・アンサリ」なる人物だという。NHKは、アブドア・アンサリなる人物について、ネットで一度でも検索してみたのだろうか。その検索結果は、このエジプト軍報道官閣下の投稿以外に何もでてこない。

さらに、「アンサール・ベイト・マクディス」とは、「イスラム国シナイ州」の前身組織である。すなわち、イスラム国シナイ州の指導者アブ・ウサマ・ミスリが、イスラム国のバグダディ指導者に忠誠を誓う以前に使用していた組織名である。従って、既に「アンサール・ベイト・マクディス」という名の組織は存在しない。指導者名も「アブ・ドア・アンサリ」などではない。エジプト軍報道官閣下がこのような情報を、(言論の自由が許された上で)記者会見で発表していたならば、こうした不審な点を突かれていたのは間違いないだろう。

ちなみに、「アンサール・ベイト・マクディス」が活動していたころは、エジプト当局はこうした組織の存在を認めず、「テロ組織」のムスリム同胞団の仕業だと強弁していたが、今回の報道官の声明で、シナイ半島にイスラム国がいることを認めたと解してもよいのだろうか。

イスラム国は、指導者や主要な幹部の死亡を決して隠したりしない。むしろ、その死亡を誇りある殉教として堂々と発表する。方や、乏しい戦果を取り繕うため、ウソ・デタラメをまき散らすアラブの独裁政権の軍隊の発表に、NHKはいつまで付き合うつもりなのだろうか。

【イスラム国】宣伝動画の傑作10選 ダイジェスト動画 ヒジュラ暦1437年シャワル月公開分

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↑画像をクリックして動画を視聴又はダウンロード↑

題名:SELECTED 10 VIDEOS FROM THE WILAYAT OF THE ISLAMIC STATE
和訳:イスラム国各州・県の動画10選 ヒジュラ暦1437年シャワル月分
公開:2016年8月5日
組織:イスラム国(IS、旧ISIS又はISIL)
出所:アルハヤト・メディア・センター(イスラム国公式)
音声:アラビア語(英語字幕)
尺長:2分51秒

【内容及び解説】 
イスラム国からヒジュラ暦1437年シャワル月中(※先月)に公開された動画の中から、傑作10本をまとめて簡潔に紹介する内容。
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【ファトフ・シャーム戦線(旧ヌスラ戦線)】シリア北部アレッポの市民へジュラニ指導者からメッセージ

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題名:رسالة صوتية لأهلنا في حلب
和訳:アレッポの我らが民衆へ音声によるメッセージ
公開:2016年8月5日
組織:ファトフ・シャーム戦線(旧ヌスラ戦線、ファタハ・シャーム戦線との表記も有)
出所:ブンヤン・メディア
音声:アラビア語
尺長:2分30秒

【キャプション】
先月、アルカイダからの分離と組織の改称を宣言したアブ・ムハンマド・ジュラニ(ジャウラニ、ゴラニ等の表記もあり)指導者による音声のメッセージ。今般、組織改称後の新たな広報部門として、「ブンヤン・メディア」が立ち上げられた。ジュラニ指導者の声明を発したことから、イスラム国の「フルカン・メディア」のように、組織の重要な決定や方針の発表を担当する部門と考えられる。

現在、ロシア軍の支援を受けるアサド政権の部隊が、シリア北部の主要都市アレッポを包囲しているが、ファトフ・シャーム戦線を始めとする反政府勢力側は、外側からこの包囲網の突破を試みており、殉教作戦を含む激しい攻撃を行っている。

ファトフ・シャーム戦線のジュラニ指導者は今回の声明で、イスラム世界、シリア国民、そしてアレッポ市民に対し、包囲網突破に向けた反政府勢力の最近の勝利を祝っている。また、この一連の勝利は、単にアレッポ包囲網を打破するだけではなく、シリア内戦の勢力バランスを変え得るものとなるだろうと述べている。また、反政府勢力の団結や、砲撃に晒されながらも耐えて尊厳ある生き方を貫くアレッポ市民を称賛している。

【ファトフ・シャーム戦線(旧ヌスラ戦線)】ジュラニ指導者の本名は「アフマド・フセイン・シャラ」 弱冠32歳

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「ヌスラ戦線」の指導者であるアブ・ムハンマド・ジュラニ(※ジャウラニ、ゴラニなどの表記もあり)は、アルカイダからの離脱とともに「ファトフ・シャーム戦線」に改める宣言を発した際、素顔を明らかにしたことにより、その人となりが明らかになりつつある。以下の内容は、シリア発の有力ニュースサイト「シャーム・ネットワーク」が報じたものである。

ジュラニ(ジャウラニ、又はゴラニ)指導者の本名は、アフマド・フセイン・シャラ。シリア南部ゴラン地方の町ラフィドの近くの村で生まれた(※上の画像のとおり、他の報道では、1984年生まれとの情報もある)。

ジュラニ氏の父親は、かつてシリア政府の石油省の職員であったが、サウジアラビアに移った後、複数の会社に勤務していた。父親は、経済の専門家で複数の著書があり、サウジで数年間過ごした後にシリアに戻り、首都ダマスカスでビジネスを始めたとされる。また、母親は地理の教師で修士号を取得している。家族には、4人の兄(弟)と2人の姉(妹)がいる。なお、イスラエルによるゴラン高原の占領の後、両親は出身地の町から避難している。

ジュラニ氏は、小学校、中学校、そして高校と首都ダマスカスで育ち、大学では報道分野について学んでいた。だが、2003年にアメリカの対イラク戦争が起きると、学業を打ち切り、すべてを捨ててイラクへ赴き、アメリカ占領軍との戦闘に何か月か従事したものの、イラク政府軍によって拘束され、数か月間収監された。

その後、ジュラニ氏はシリア政府に引き渡されたが、すぐに釈放された。ところが、アサド政権の情報機関からジュラニ氏の思想面に関する報告書が出されると、再び拘束されてしまう。拘束の時期は、2004年から2005年の間とされる。

ジュラニ指導者は、首都ダマスカスの北にあるサイドナヤの刑務所に収監され、一時は生死不明となる。その後、釈放された元収監者がジュラニ氏の家族を訪れ、刑務所に収監されているが健在であることを伝える。両親は刑務所に面会を求めたが、実現しなかった。

2011年の3月にシリアで反体制運動が起きると、アサド政権当局は、アルカイダとの関係やジハード主義思想が疑われて収監されていた容疑者全員を釈放する。その中に、アブ・ムハンマド・ジュラニ(ジャウラニ)こと、アフマド・シャラ氏もいた。

ジュラニ氏の性格は、おとなしく内気であり、かつては信心深い方ではなく、ジハードにも関心がなかったという。ところが、2003年のイラク戦争をきっかけに、他の多くの若者たちのように、ジハード主義思想や強固な信念からというよりは、アラブ民族主義や一般的な宗教心からイラクに向かったところ、イラクやシリアの刑務所でシャリーア(イスラム法)を学び、ジハード主義思想に傾倒するようになったという。

ジュラニ氏はサイドナヤの刑務所から釈放されると、当時「イラクのイスラム国」と呼ばれていたイスラム国の指導部と直接連絡をとり、「ヌスラ戦線」設立の指令が下されると、武器、資金、人員などの支援を受け取った。その後、イスラム国が前身組織の「イラクとシリアのイスラム国」となったことを宣言するが、ヌスラ戦線はこれに従わず離脱する。ジュラニ氏はアルカイダ本部のアイマン・ザワヒリ師に忠誠を誓うとともに、アルカイダのシリア支部の指導者となった。そして今般、アルカイダからの分離を宣言し、素顔を晒すに至っている。

↓参考:2015年5月にアルジャジーラで放送されたジュラニ氏インタビュー
 
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