【マニラ発砲放火】イスラム国の「犯行声明」


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2017年6月2日午前1時ごろ(日本時間)、フィリピンの首都マニラにあるホテルやカジノなどが入った複合施設で、男が銃を発砲した後に放火した事件で、36人が死亡した。

翌2日、イスラム国からこの事件に関する声明が出された。「速報 マニラでの捨て身の攻撃により敵であるキリスト教徒およそ100人が死傷」と題し、「同志であるアブ・カイル・アルカビリが、フィリピンのマニラにある「リゾーツ・ワールド」というリゾート施設で、敵であるキリスト教徒たちの集まりに銃を持って突撃した。そして殺害と懲罰を行った後、殉教した。攻撃の成果は、キリスト教徒およそ100人を死傷させた」などとしている。

この声明が出される直前、イスラム国系メディアの「アマーク通信」も速報で、「アマク通信セキュリティ筋によると、イスラム国の戦士たちが、昨日のフィリピンのマニラにおける攻撃を実施した」と短く報じた。複数形で「戦士たち」とされており、単独犯ではなく、共犯ないし協力者がいるものと見られる。

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【カブール爆弾攻撃】なぜイスラム国の「犯行声明」がでないのか?


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NHKによると、2017年5月31日、アフガニスタンの首都カブールで、各国の大使館が集まる地区で大量の爆発物を積んだバキュームカーが爆発して、90人が死亡、日本人2人をふくむ400人以上がけがをした。これまでのところ犯行声明は出ていないが、現地の警察は「爆弾テロ」として捜査している。

なお、アフガニスタン・イスラム首長国(通称「タリバン」)のスポークスマンは公式ホームページで、この事件への関与を否定する声明を発している。一方、時事通信の報道によると、アフガニスタンの情報当局は「ハッカニ・ネットワーク」の関与の可能性を指摘している。

「ハッカニ・ネットワーク」説は、いかにも消去法であり、説得力があまり感じられない。当ブログ管理人は手口や爆発の規模から見て、イスラム国が行った可能性が高いと見ている。それならば何故「犯行声明」がでないのか?

おそらく今回の殉教作戦は、現地の組織が主導する形で計画及び実行がなされたものの、標的としていた大使館の外国人らを殺害できず、犠牲者は現場に居合わせたアフガニスタンの一般市民ばかりという惨憺たる結果を受けて、イスラム国本部から公式に承認されなかったのだろうと考えている。

イスラム国のアフガニスタン支部「ホラサン州」においては、2015年にも東部のジャララバードの銀行前で殉教攻撃が行われ、イスラム国を名乗る組織から一時「犯行声明」が出されたものの、犠牲者が一般のアフガニスタン市民ばかりであったことから、後にイスラム国が関与を否定する声明を出した事例がある。このケースについては、当ブログの過去記事を参照ありたい。

【英コンサート爆発】容疑者の父親はアルカイダと関連のある「リビア・イスラム戦闘集団」のメンバーだった ※追記あり

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イギリス中部マンチェスターのコンサート会場爆発事件について、イギリス警察は容疑者の身元を公開した。NHKによると、22歳のサルマン・アベディ容疑者は、マンチェスター南部に住み、北アフリカのリビアから移住してきた両親のもと、イギリスで生まれた移民2世だったとしている。英国生まれ英国育ちのサルマン氏が、どのようにしてジハード思想に傾倒していったのであろうか。この疑問を解く鍵は、父親にあるかもしれない。


リビア発のニュースサイト「マルサド」の記事によると、容疑者の父親はイスラム武装勢力「リビア・イスラム戦闘集団(Libyan Islamic Fighting Group)」のメンバーだったと報じられている。リビア・イスラム戦闘集団は、旧カダフィ政権の打倒を目指して設立された武装勢力で、アルカイダとの関係を指摘されてきた。アメリカ政府からは「テロ組織」として認定されている。


サルマン容疑者の父親ラマダン・ベルカセム・アベディ(別称アブ・イスマイル)は、1965年12月24日生まれで、マンチェスターのモスクで宣教活動を行っていた。そして、同じモスクに息子のサルマン容疑者も通っていた。


父親は旧カダフィ政権から離反する1991年までは、リビアの首都トリポリに在住し、治安機関の元上級曹長を務めていた。そして1991年にリビアを出国しサウジアラビアへ渡航する。折しもソ連がアフガニスタンから撤退し、イスラム教徒としての新たな聖戦に対する意識が、リビア人ジハード戦士たちの間で高揚していた時期であった。


容疑者の父は1992年にサウジアラビアからロンドンへ移動するが、しばらくしてマンチェスターに移る。そして1994年には反カダフィ政権組織の「リビア・イスラム戦闘集団(※アルカイダとの関係があるとされる)」のメンバーであることが発覚し、リビアの対外治安機関に追われるようになっていた。このころ、息子のサルマン容疑者が誕生している。マンチェスターに居住していた頃は、リビア・イスラム戦闘集団の有力メンバーたちが隣人であった。

2008年、リビア対外治安機関とリビア・イスラム戦闘集団が和解(過激思想や武装闘争路線の放棄)、多くの活動家が釈放されるなか、容疑者の父親も帰国を許可され、トリポリに帰還した。2014年以降、リビアの移民コミュニティの間では、容疑者の父親のSNSページの投稿などから、ベンガジのリビア国軍(ハフタル元将官派)を敵視する一方、「ベンガジ・シューラー評議会」や「リビアの夜明け部隊」といったイスラム主義勢力を支持する姿勢で知られていたとしている。

以上が「マルサド」の報道の内容である。

 

今回の事件に関する声明を発したイスラム国は、リビア・イスラム戦闘集団とのつながりはないが、こうした父親のもとで、サルマン氏がジハード思想にふれる機会に事欠かなかったのは想像に難くない。なお、イギリスのメディアによると、サルマン氏は事件前に父親がいると見られるリビアに一時滞在していたと伝えている。

※↓2017年5月25日追記

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↑サルマン・アベディの弟のハーシム(リビア内務省特殊部隊が公開した写真)


AFP通信によると、サルマン・アベディ容疑者の父親ラマダンと、弟のハーシムがリビアで治安当局によって逮捕された。また、リビア内務省特殊部隊のフェイスブック公式ページによると、ハーシムが首都トリポリでテロを計画している疑いがあると見て、1か月半の間内偵していたとしている。ハーシムは、兄のサルマン容疑者から送金された4500リビア・ディナールを受け取ろうとしていたところを拘束された。その後の取調べの結果、ハーシムは兄のサルマンとともにISのメンバーであり、マンチェスターでの事件の準備のためにハーシムがイギリスに滞在していたことや、事件の詳細についても把握していたことが明らかになった。ハーシムは今年の4月16日にイギリスを出国していたが、兄のサルマン容疑者とは常に連絡を取り合っていたとしている。


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【英コンサート爆破】イスラム国による公式の「犯行声明」

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2017年5月23日20時40分(日本時間)ごろ、イギリス中部のマンチェスターのコンサート会場付近での爆発事件について、イスラム国(IS)から公式の声明が発表された。上はSNSでIS支持者によって拡散されている声明の画像である。

 タイトルは「速報 イギリスのマンチェスターで爆弾を爆発させ十字軍市民100人が死傷」となっており、本文では、「イスラム国の戦士の一人が、イギリスのマンチェスターで十字軍市民の集まりの中に爆弾を設置し、コンサート会場の建物(アリーナ)の中で爆発させた。その結果、およそ30人の十字軍市民が死亡、70人が怪我をした」などとしている。

系列メディア「アマーク通信」による第一報ではなく、イスラム国の公式声明が先行したことで、事件への組織的な関与をうかがわせる展開といえるだろう(その後、21時過ぎにアマーク通信が追って報じた)。なお、イギリス当局は、事件は「自爆」によるものとしているが、声明ではそのように記されていない。

※追記
アマク通信の速報
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声明の英語版
IS_English

【英コンサート爆発】イスラム国の「犯行声明」とする動画?


Manchester_Attack

NHKによると、イギリス中部のマンチェスターで22日夜(日本時間23日朝)、コンサート会場付近で爆発があり、これまでに19人が死亡、およそ50人がけがをした。警察はテロ事件として捜査しているという。
ところで、※Twitterでイスラム国(IS)の「犯行声明」だとする動画がでまわっている。真贋については、賢明な当ブログの読者の皆さんのご判断に委ねることにしよう。

※現在は公開主のアカウントで動画を見ることはできない。どうやらツイッター当局によって、アカウントを凍結されてしまったようだ。ジハード運動の研究者や専門家でさえ凍結の憂き目にあうほど、ツイッター当局は厳しい態度で臨んでいるのが実情であり、こうした行為が許されないのは当然の帰結である。


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