Abu_Yusef_Karrar
2016年7月26日にイスラム国が配信したアラビア語広報紙「アルナバ」第40号に、ドイツ南部バイエルン州アンスバッハで24日夜に起きた爆発事件の実行者ムハンマド・ダリル氏に関する特集記事が掲載されている。イスラム国の戦闘員としてのクンヤ(コードネーム)は「アブ・ユーセフ・カッラール」としている。

この特集記事によると、ムハンマド・ダリルは、イスラム国の前身組織「イラクとシリアのイスラム国」に既に戦闘員として参加していたが、アサド政権の情報機関から不審に思われないように故郷のアレッポに戻り、父親の商店の手伝いをしながら、密かに活動を続けていた。それ以前には、いくつかの反政府勢力で、アサド政権の拠点に対して火炎瓶などで攻撃していたこともあったが、反政府勢力の諸組織の腐敗や堕落ぶりに幻滅して、イスラム国に辿りついた(ヌスラ戦線が分離した際には、イスラム国に移籍している)。

ムハンマド・ダリルはシリア北部アレッポでの戦闘で、迫撃弾の破片を受けて負傷したため、治療のためシリアから離れざるを得なくなった。滞在先のヨーロッパでカリフ制復興宣言などの激動を目の当たりにし、ジハードに復帰すべく何度もシリアへ帰国しようとしたが失敗してしまった。そこで、インターネットのSNSを通じたイスラム国の広報活動に従事していたところ、移住できなければ滞在先の現地でジハードをせよとの呼びかけに接することとなる。

だが、自動車も所有していないため、火炎瓶や爆弾を作るための物資を調達できなかった。そこで、より日常的な物資を利用した爆発物で、群衆の中で爆発する計画に変更した。新たな作戦の準備には、3か月ほど要したが、その期間中にドイツ警察のガサ入れがあったという。ところが警察は、ムハンマド・ダリルが隠していた爆弾を見つけられなかったとしている。作戦予定日の前日には、標的に定めたコンサート会場の下見にも訪れている。またこの間、常に協力者もいたという。

結局、当初の標的であったコンサート会場には入ることができず、目標を人が集まっていた酒場に変更して爆発した。また、この作戦によるメッセージを正確に伝えるため、ムハンマド・ダリルは事前に動画を遺しており、その中でバグダディ指導者に改めて忠誠を誓い、ジハードを座視している者たちに立ち上がるよう呼びかけたとしている(この動画については、当ブログ過去記事を参照)。

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