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2016年7月31日、イスラム国の英語広報誌『DABIQ(ダビク)』第15号「BREAK THE CROSS(十字架を砕け)」が、インターネットのツイッターやテレグラムを通じて配信された。ダビクの配信は、2016年4月13日以来およそ3か月ぶり。遺体の写真等も含まれているため、リンクからの閲覧およびダウンロードの際には注意願いたい。
なお、『ダビク』バックナンバー全号のリンクはこちらから。

78ページ以降に掲載されている「By the Sword(剣によって)」と題されたコラムに、日本に関する記述がある。

このコラムによると、イスラム教では、剣(武力)によって異教徒の地を征服した後には、引き続き剣によって創造主が定めた法を断固として施行せねばならず、このことはイスラム教に先行する啓示宗教であるユダヤ教及びキリスト教の聖典にも明記されているが、現代のユダヤ教徒及びキリスト教徒はそれを怠っていると指摘している。
その上で、次のように主張している。


<該当部分(80ページ左側中段)の引用>
"The clear difference between Muslims and the corrupt and deviant Jews and Christians is that Muslims are not ashamed of abiding by the rules sent down from their Lord regarding war and enforcement of divine law. So if it were the Muslims, instead of the Crusaders, who had fought the Japanese and Vietnamese or invaded the lands of the Native Americans, there would have been no regrets in killing and enslaving those therein. And since those mujahidin would have done so bound by the Law, they would have been thorough and without some “politically correct” need to apologize years later. The Japanese, for example, would have been forcefully converted to Islam from their pagan ways – and if they stubbornly declined, perhaps another nuke would change their mind."

(当ブログ管理人の和訳、※は訳者による補足)
「イスラム教徒が、堕落し逸脱したユダヤ教徒及びキリスト教徒と明らに異なるのは、戦争と神の法の適用について、創造主から下された掟を施行することに何ら恥じないという点である。仮に日本人やベトナム人と戦争したり、ネイティブ・アメリカン(※いわゆるインディアン)の地を侵略したのが、十字軍(※キリスト教徒)ではなくてイスラム教徒であったならば、そこにいた人間を殺害したり奴隷としたりしたことに対して、何の後悔の念も抱かなかっただろう。なぜなら、(※イスラム教徒の)ジハード戦士は、神の掟に従って行動したのだから完全に正しいのであり、後年に「ポリティカル・コレクト」的な立場から謝罪する必要などないのである。例えば、日本人に対しては、多神教からイスラム教への改宗を強制したであろうし、なおも日本人が頑迷に拒否したなら、おそらくは更なる核兵器を使って考えを改めさせたであろう」(※引用箇所の和訳終わり)

おそらくは、アメリカのオバマ大統領のベトナム・広島訪問などを意識して執筆されたものと受け取れる。日本人がイスラム教への改宗を拒むなら、核兵器の利用も辞さないなどと威勢はよいが、神の掟に従うイスラム教徒には「ポリティカル・コレクト」の必要性はないなどと一方で書いておきながら、「ネイティブ・アメリカン」という余りにも典型的な「ポリティカル・コレクト」表現を使用しているのは滑稽である。コラムの筆者は、唯一絶対神に深く帰依したつもりかもしれないが、人間が一度刷り込まれた価値観から自由になるのは、斯くも困難なのである。